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カーボベルデ共和国


非常に興味がある文化です。
この時代にどのような暮らしをしていたのでしょうか。


カーボベルデ共和国、通称カーボベルデは、大西洋の北、アフリカの西沖合いに位置する島国。もともとはポルトガル領であった。史跡としてはかつてポルトガルの重要な植民地であったが、フランシス・ドレークによって破壊された町シダーデヴェリャが残っている
ポルトガルの冒険家が1456年と1460年に、最初にこの諸島に着いた時は無人だったが、卓越風、海流などにより、ギニア海岸地方よりセレール族、ウォロフ族、Lebou、ムーア人の漁師などが訪れていたと思われる。

アラブ人、フェニキア人が昔から訪れていたという民話伝承がある。ポルトガル冒険者 Jaime Cortesão はアラブ人は塩田に塩を取りに来ていた事を記録していて、Sal Island (Salt Island, サル島、塩の島)を指していると思われる。

現代の作家 Gavin Menzies, ギャヴィン・メンジーズ は著作”1421 中国が新大陸を発見した年”(2002年)の中で15世紀の中国、明時代の冒険家 鄭和が1420年にこの島に到達していると論じている(この本で著者はクリストファー・コロンブスの前に鄭和一行がアメリカ大陸を発見していたとする議論を展開している)。


(記録が残っている)発見
分かっているカーボベルデ史の日付は、15世紀に到達した最初のポルトガル冒険者による。1444年、ディアゴ・ディアスはいくつかの島を発見した。その後数十年に、エンリケ航海王子の仕事に就いていた、カダモストとアントニオ・ノリが残りの島々を発見した。1462年にポルトガル居住者は初めてサンティアゴ島に到達し、熱帯最初のヨーロッパ人の居住地となるリベイラ・グランデ(今のシダーデヴェリャ)を創設した。16世紀には奴隷貿易で栄えた。海賊はしばしばポルトガル居住地を攻撃した。1585年、サー・フランシス・ドレイクはリベイラ・グランデを略奪した。リベイラ・グランデは1712年のフランスの攻撃の後、1770年に首都となるプライアに比べてその重要性を失った。

1912年のカトリック百科事典によると、カーボベルデ諸島はポルトガル人によって1460年に発見され、ギニアは1445年に発見された。これらの領土はクレメンス7世により、1553年の1月31日に司教管区に選ばれた。


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2008年03月25日 22:31に投稿されたエントリーのページです。

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