パドヴァの地理
パドヴァはバッキリョーネ川の畔にあり、ヴェネツィアの40km西、ヴィチェンツァの29km南東に位置する。かつてパドヴァ市内を流れていたブレンタ川は、今も市の北部地区をかすって流れていく。農業はヴェネツィア平野で行われている。パドヴァの南西には、マルクス・アンナエウス・ルカヌス、マルティアリス、ペトラルカ、ウーゴ・フォスコロ、パーシー・ビッシュ・シェリーらが讃えたエウガネイ丘陵が広がる。
広いコムーネ広場から通じる、アーケードのある通りの密集したネットワーク、そしてかつては古い城壁の周囲を堀のように囲んでいたバッキリョーネ川の多数の支流には、多くの橋がかけられている。
パドヴァは北イタリア最古の都市であると主張している。伝承によれば、少なくともウェルギリウスの『アエネイス』に書かれた時代からあったといい、自身が繁栄した中世コムーネ時代に証拠が再発見された。それによると、トロヤ王子アンテノポスによって紀元前1183年にパドヴァはつくられた。アンテノポスは、パフラゴニア(アナトリア・黒海沿岸の地方)からイタリアへヴェネティ人を率いて建設を支援した。市は1274年に巨大な石のサルコファガスを発掘し、これらがアンテノポスの遺骸とされると表明した。
共和制ローマからパタウィウム(Patavium)として知られていたパドヴァには、アドリア・ヴェネティ人が住んでいた。彼らはウマの飼育とヒツジからとる羊毛で知られていた。アドリア・ヴェネティ人の男たちはカンナエでローマ人と戦った。パタウィウムは紀元前45年からローマのムニキピウムとなった。パタウィウムは、すぐに無数の戦闘要員を集められるほど強力であった。近郊にあるアーバノは、歴史家リウィウスの生誕地とされている。パドヴァではガイウス・ウァレリウス・フラックス、アスコニウス・ペディアヌス、プブリウス・パエトゥスが生まれた。
パドヴァ地域をキリスト教化したのは聖プロスドキムスであったとされる。彼はパドヴァ初代司教として深く敬われた。
古代後期以後のパドヴァ史は、イタリア北東部の多くの都市がそうであったのと同じ過程を辿った。
パドヴァは452年、アッティラが指揮するフン族の侵攻を受けた。次にはゴート族のオドアケル、テオドリックの支配を受けた。しかしゴート戦争(en)の間の540年に、東ローマ帝国へ従属した。パドヴァはその後再度トーティラによって略奪・破壊されるが、568年に東ローマ将軍ナルセスによって帝国領へ復帰した。6世紀にロンゴバルド族支配を受けた。
601年、パドヴァはロンゴバルド王アギルルフ(en)に対し反乱を起こした。12年に及んだ長く血塗られた包囲戦後、アギルルフ王によって略奪され市は焼かれた。古代のパドヴァは消滅してしまった。古代の円形演技場の遺跡と、一部の橋の基礎部分が、ローマ時代から現代まで残っている。パドヴァ市民は丘陵地帯へ逃れ、廃墟の中で細々と暮らすために戻ってきた。年代記によれば、支配階級はラグーナのために市を見捨てた。アギルルフの蛮行からの復興はたやすくなく、ロンゴバルドの次にフランク王国が北イタリアの覇者となっても、パドヴァはかつての栄光の失せた小さな町に過ぎなかった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
イタリアヴェネト州の都市です。とても素敵な街並みですね。
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